http://www.pref.nagasaki.jp/koho/hodo/upfile/20111021143552.pdf
司会は美人フリーアナウンサー平尾由希さん(佐世保南高校、元NHK長崎放送局)でした
昔は「長崎県の未来を語る夕べ」という名称の会合でした、第1回は2003年(平成15年)2月でした
(率直な)所感
もう9回程開催しているはずですが、だんだん当初に比べてその戦略が変質してきていると感じます
投入できる予算や人員・時間が制約されてきているのでしょう
だんだんスケールが小さくなりじり貧の感じです
第一回目から参加しておりますので強く感じます、その理由と意見を列記します
- 2005年(平成17年)の開催から非常に大きくこの会合の戦術・戦略が変化しました
年度をまたいではおりますが、この年は2月15日と11月10日の2回開催されています
以後、秋に開催されるようになってしまいました- 原因は2006年2〜3月頃に行われた県知事選挙です
- 2006年2月に開催できないため2005年11月10日に前倒し開催されました
そのまま現在に至っております、これが重要な問題なんです
2月に開催されているのには戦略的な重要な意味がありました
それは、首都圏・関東の重要なバイヤーを招待して長崎県の物産を紹介・アピールする商談会の前日にこの会合を開催していました
ですから、長崎県の経済界からも県庁本庁からの参加ももっとキーパーソンが来ておられました
マスコミも長崎のTV局はカメラと記者が取材にきました、東京のTV局(テレビ東京)も商談会の様子をワールド・ビジネス・サテライトという番組で放映しました、しかも会合の司会は長崎北高出身のテレビ東京アナウンサー森本さんでした
ですからこの会合は農産物・海産物の一次産業に限らず産業界の方々も商工会議所からの参加の方から長崎進出の情報を得られたと思います一連の戦略的に考えられた二つの会合を分離開催する事により、いわゆる戦力の分散・逐次投入という事になりました
そしてそのまま現在に至っております もったいない事です当時は、戦略立案に見えないところであの電通が絡んでいた事は後で聞きました
(当時、東京事務所の某さんがこっそりつぶやきました、おいしいところを電通がもっていく....と)
- 最初は本庁の 政策企画部 広報広聴課 が仕切っておりました
- 2007年(平成19年)から 東京事務所 に仕切りが変わりました
- そしてこの年から当方に招待状が来なくなりました
- 会合の目的・主旨の変質が決定的となりました
- 会合の責任と権限が 県の 参謀本部 を離れてしまいました....
講演での、長崎上海航路と農林部長の諫早干拓の話は良かったです
マスコミを通さずに直接にface-to-faceでプレゼンを拝聴した事は大変有用でした!
私見:
参考情報 → 昨年2010年の会合情報
新幹線が早く長崎まで来ないと、地盤沈下していく事を心配しております
かげながら応援いたします 長崎の発展・幸福のために....
《蛇足》
- 参加費 当初 五千円でした 現在の三千円は色んな意味で良くありません 五千円出しても参加価値がある会が良いです そして五千円だと、どうでもいい人は来なくなります、それが良いのです
- 日本酒の好きな方は今回 六十餘洲 あっという間に無くなり がっかりでした....毎回スゴイ人気なんです